雅子さまのお父様、小和田恒さんは2024年4月現在91歳とご高齢ですが、どのようにお過ごしでしょうか?
日本の外交界において輝かしい足跡を残された小和田恒さんの現在の様子がふと気になる方も多いはず。
日本と世界をつなぐ橋渡し役として長年にわたり活躍され、現在も精力的に活動を続けられている小和田さんの人生は、多くの人々にとって大きな刺激となるはずです。
小和田恒さんの現在のご様子と、その輝かしい経歴の全貌を見て、日本が世界に誇る偉大な外交官の活躍に感銘をうけてみませんか。
雅子様の父親 小和田恒さんの年齢は?経歴と共にお届け!
小和田恒さんは1932年〈昭和7年〉9月18日 生まれ。
そんな91歳とご高齢の小和田恒さんですが、隠居しているわけではなく、ご活躍中です。
もちろん、長年のキャリアを引き継いでのご活躍ですので、まずは、経歴からご紹介していきましょう。
年 | 経歴 |
1955 | 東京大学 教養学部教養学科卒業 外務省入省 ケンブリッジ大学 留学 |
1959 | 外務省条約局法規課 |
1993 | 外務省退管 外務省顧問 |
1998 | 日本国際問題研究所 理事長 世界銀行総裁特別顧問 |
2000 | 早稲田大学院教授、ハーバード大学 法学部客員教授 民間外交推進協会評議員会議長 |
2003 | 国際司法裁判所 判事 |
2009 | 第22代国際司法裁判所 所長 |
2012 | 国際司法裁判所 所長辞任 その後判事として活躍 |
2018 | 国際司法裁判所判事 退任 |
書ききれないくらい膨大な経歴なので大まかに分けました。
それぞれの分野で活動されていたのがわかると思います。
大和田恒さんは新潟県出身、東京大学出身教養学部教養学科に進みました。
在学中に外交官領事菅試験に合格し、大学卒業後、外務省に入省しました。
2018年09月21日 16:00 〜 17:00 10階ホール
小和田恒・前国際司法裁判所判事 会見
この会見の場で小和田さんの活躍の基礎となる体験を話されています。
小和田さんが中学1年生の時に日本は太平洋戦争に敗れました。当時愛国少年だった小和田さんは大変なショックを受けました。
「これから日本はどうするのだろう」という気持ちを抱えていました。そして、大学に入った翌年に「サンフランシスコ条約」が締結されました。
当時は、国際社会の日本に対する疑念や疑惑が充満していました。国際社会を復帰した日本が果たす役割はなにか疑問がありました。太平洋戦争に日本が巻き込まれ、日本の決意というものが必ずしも十分でなかった。
「そういうことは二度とないようにするにはどうしたら良いのか。」という想いは今日まで続いている。
学生時代に日本が戦争に敗戦した経験が小和田さんの人生に大きく影響したのですね。
小和田さんが出した結論があります。
そんな思念を込めて今日に至るまでに活動してきました。
小和田さんの愛と平和に対する気持ちがとても強く伝わると思います。
雅子さまの学歴や経歴についてはこちらの記事でお読みいただけます。
雅子さまの父親の小和田恒さん~2018年国際司法裁判所判事を退任後は?
国際司法裁判所を退任された後は、オランダから日本へ帰国。
現在は大学やメディアなどで、活動をされています。
とても85歳(2018年当時)に見えない印象を受けました。
余談ですが話すスピードがすごく早くて驚きました。
話もわかりやすくて重ねられた経験が豊富な方なんだなと思い知らされました。
退任された翌年の2019年には二松学舎大学名誉博士の称号を授与されました。
東京大学とライデン大学との共同で「小和田恒記念講座」が発足。
- 1回目は2022年5月ライデン大学へ赴いて公演され、東京大学ではオンラインで参加する形で行われました。
- 2024年1月にライデン大で第3回の講座が開催されました。
ライデン大学の学生に比べて、日本の学生は『国際的な発信力を身につける。』という機会がないことを危機感としてもっていました。
「日本の若者を武者修行する場」を作るという想いでこのプロジェクトが発足し、日本と世界の架け橋となって今も世界を回られています。
2024年3月の取材で次のように意気込みを答えています。
6回のプログラムは折り返し地点に来ていますが、今後、より充実させていきたいと考えています」
産経新聞 https://www.sankei.com/article/20240310-WT4TY2MNQJNHLLMCQGSNN4EYIA/
2024年が6年のプログラムの折り返し地点とのこと。
雅子さまの妹2人についてはこちらの記事で詳しくお読みいただけます。
雅子さまの父親の小和田恒さんの健康状態は?
2024年1月にも「小和田恒記念講座」は開催され、ご活躍されている小和田恒さん。
とはいっても、年齢からくる体の変化があるのも事実です。
- 2008年には軽い脳梗塞で倒れたという報道もされました。
- 2009年と2010年には2年連続でバイパス手術を行ないました。
- また、高齢者のよる運転操作ミスによる事故多発が話題になってから免許も返納されました。
体をお大事に、いつまでも活躍していただきたいです。
雅子さまの現在の体調についてはこちらからお読みいただけます。
雅子様の父親の小和田恒さんのお住まいは?最近は介護のウワサも?
国際司法裁判所を退任され85歳でオランダより帰国され、その後お引越しをされています。
詳しくご紹介していきましょう。
2018年帰国後の小和田恒さんのお住いは?
帰国と同時に、東京目黒のご自宅にリフォーム工事が行われました。
老朽化と、高齢のため足腰も弱っていることから安全に暮らして行けるようにするための工事です。
しかし、2019年1月より京都の『福知山公立大学』の教授として着任することになり、京都へ移り住むことになりました。
2人でお散歩をする姿や買い物へ行くところも目撃されていました。
雅子さまもとても心配だったことともいます。
2023年11月 小和田恒さん夫妻のお引越し
「恆さんと優美子さんは、雅子さまの双子の妹の一人・池田礼子さんが住んでいる港区にあるマンションに空き部屋ができたということで、11月に引っ越されました。恆さんは91歳、優美子さんも85歳とご高齢です。今はお2人ともお元気ですが、しばらく前に優美子さんが足を悪くされた時期があって、恆さんが近所のスーパーまでお買い物に行くという状況になったこともありました」
女性自身 https://jisin.jp/koushitsu/2273062/3/
2023年11月、雅子さまのお誕生日(12月9日)と前後する時期にお引越しをされています。
というのも次女の渋谷礼子さんが住んでいる港区の高級マンションに空きができたとのこと。
2024年4月の段階で91歳とご高齢ではありますが、お元気でお過ごしとのこと。
近くに次女の渋谷礼子さんもおられるので、雅子さまも少し安心材料が増えてよかったですね。
池田さん一家と小和田さん夫妻が住むマンションはセキュリティが厳重です。皇居からも近いですし、雅子さまも久しぶりに“里帰り”して、ご両親の生活ぶりをご覧になることもできるのです」(前出・皇室担当記者)
女性自身 https://jisin.jp/koushitsu/2273062/3/
2003年以来、雅子さまは里帰りをされていないとのこと。
皇后というお立場なので、近くてもすぐには帰れないのが心苦しいところです。
皇室に入られたとは言え、雅子さまにとってはたった2人のご両親なので、ぜひ、気兼ねなく里帰りできる日が来るといいですね。
雅子さまや天皇家についてはこちらからぜひお読みください!
まとめ|雅子さまの父親、小和田恒さんの現在
プロジェクト | コンテンツ |
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年齢 | 91歳(2024年4月現在) |
経歴のハイライト | 外 |
現在の活動 | 講演会や学術活動に参加。特に「小和田恒記念講座」を通じて、日本の若者に国際的な視野を提供。 |
健康状態 | 過去に脳梗塞やバイパス手術を経験。現在は公の場に姿を見せ、活動的な様子。 |
住まい | 東京目黒の自宅から、娘と近い港区のマンションへ引っ越し。 |
小和田恒さんは、91歳とご高齢にもかかわらず、長年にわたる外交官としての経験を活かし、日本及び世界のために積極的に活動されています。
その人生と活動は、多くの日本人、特に若い世代にとって、大きな刺激となるでしょう。
小和田さんのような偉大な人物が今もなお前向きに活動を続ける姿は、私たちにとって大きな励みとなりますね。
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