皇族に嫁がれたのは1959年4月10日。
それから65年の歳月を皇室で過ごされ、2024年10月20日のお誕生日で90歳となられた美智子さま。
一般的に嫁と姑というのは何かしらの問題が生じるとされてきた関係だけど美智子さまに限って・・・
いざこざってあったのかな?
特に由緒正しい歴史のある皇室となれば、美智子さまと雅子さまの間に何かしあるんじじゃない?
昭和から平成の皇室となれば、尚のこと令和の時代に生きる私たちと感覚のズレがあるような気がするよね・・・
と思われる方も多いことでしょう。
そこで本記事では・・・
- 雅子さまの人格を否定するような動きの具体例
- 現在は天皇陛下の徳仁さまの人格否定発言に秘められた真意
- 美智子さまは本当に意地悪なのか
雅子さまに対してのいじめの有無や美智子さまが「意地悪ばあさん」だと勘違いされる理由について、具体的な事件を通じて真相をお伝えしていきたいと思います。
雅子さまと美智子さまの関係について、ホントのところを知りたい方はぜひ最後までお読みください!
美智子さまが意地悪ばあさんだと勘違いされるワケ!
【意地悪ばあさん】って、昔から使われている言葉ですが、一般的にどういうときに使われているのか、振り返ってみましょう。
「いじわるばあさん」は、「サザエさん」連載の傍ら1966年1月2日から1971年7月18日まで週刊誌『サンデー毎日』に連載された四コマ漫画です。 連載開始前の1963年から同誌に6回にわたり特別掲載され、単発ながらその強烈なキャラクターと痛快なストーリーが人気を集め、連載へと発展しました.
長谷川町子美術館より
https://www.hasegawamachiko.jp/
日本テレビ系列で1967年9月~1969年9月にかけてドラマ化されました。
その【いじわるばあさん】のイメージが染みついて使われるようになった言葉です。
意地悪ばあさんの人物像としては、人様に意地悪をしてばかりいる「いじわるばあさん」。
そして漫画やドラマの中では、そのいじわるばあさんに振り回されているけれど、ごくたまに逆襲する事もある人々の姿を描いた4コマ漫画として親しまれました。
つまり、いじわるなことをするおばあさん!ってことですね!
では、美智子さまと雅子さまに関する具体的なエピソードについてお伝えしていきましょう。
その1|人格を否定するような動き~靴隠しのイタズラ事件
靴隠しだなんて、何だか子どものいたずらみたいですね!
これが本当だとすれば、雅子さまにとっては嫌な思いをされたことでしょう。
具体的なハプニングについてお伝えしていきましょう。
雅子さまが皇室に入られて3年程たったころに御所でパーティーが開かれました。
その前にお茶を飲むためにみんなで靴を脱いで和室に上がったのだそうですが、部屋を移動するときに何故か雅子さまの靴がなくなっていたそうです。
それはちょっとかわいそうに思えますね。
その2|人格を否定するような動き~晩餐会で雅子さまの紹介をスルー
2003年10月にメキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で、陛下が雅子さまの紹介をスルーしてしまったという話があります。
雅子さまのショックは大きかったことでしょうね。
宮内庁は
国賓御夫妻への皇族方の御紹介及びそれに続く行事は,毎回全く同じ段取りで取り進められており,その第一段階で,秋篠宮殿下以下全員の皇族が見守られる中で,天皇陛下が,皇太子妃殿下を賓客に御紹介になることなく,秋篠宮殿下を御紹介になるというようなことは到底起こり得ません。
宮内庁HP
と反論しています。さらに
当時皇太子妃殿下の次に控えておられた秋篠宮殿下に伺ったところ,自分(殿下)は,行事などの際に,何か手順通りに進められなかった場合は,直ちに気が付く方だし,また,再発を防ぐためにもかなりの長きにわたりそれを記憶しているつもりだが,これまで国賓をお迎えした際の陛下の皇族御紹介で何か手順と異なることを陛下がなさったという記憶は全くなく,皇太子妃殿下を飛ばして自分が紹介されたということは決してないと思う。また,万一にも自分が先に紹介されそうになったら,自分は必ずその場で陛下に申し上げ,皇太子妃殿下の紹介が先になるように取り計らったと思うとの御返事を頂きました。
宮内庁HP
とも述べています。
しかし、後になってわかったことですが、この時その場に秋篠宮殿下がいらっしゃらなかったことがわかりました。
なんとも不可解な事柄ですが、そのことも美智子さまの差金だったのではないかという話があるそうです。
美智子さまの怪我やご病気についてこちらの記事でお伝えしています。
ぜひ見てみてください!
その3|妊活優先のための公務の制限と男子出産を強要
1996年、ご成婚されてから3年後、雅子さまが海外メディアで「籠の中の鳥」と揶揄されました。
雅子さまはご成婚前は外務省に勤められ、外交などの手腕を発揮されることもとても期待されていました。
雅子さまはそういう場所で仕事をされていたので、皇室の閉鎖的な状況が合わなかったようです。
雅子さまはハーバード大学、東大、外交官という華々しい世界を歩まれてきましたが、突然、皇室に入られた。そこで人権が侵害されている状況を目の当たりにするわけで、雅子さまは、『一体、どうなっているの?』と強い疑問を抱かれたのです。
文春オンライン
皇室を改革したいという思いもあったようですが・・・
美智子さまとしては「皇室に慣れてほしい」「だから皇室のやり方、あり方を学んでほしい」という思いからを厳しく指導されたそうです。
一説によると、雅子さまの才能を目の当たりにして、美智子さまが嫉妬されていたという話もあります。
ご結婚されると宮内庁や国民たちからもお子様の誕生に関心が向きます。
自然の形での妊娠を望んでいたお二人でしたが、不妊治療に同意されました。
愛子さまを授かるまで8年間、その間に流産も経験され雅子さまにとってかなりお辛い期間だったと思います。
2001年12月1日に雅子さまは愛子さまを出産されました。
無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に、初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子どもの姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで、いっぱいになりました
FRAU
無事にお子さまが生まれてよかったわ
でもここからが、雅子さまの戦いの始まりでもあるようなのです。
この年の愛子さまのご誕生からもっとつらいプレッシャーを受けるようになったのです。
それは、雅子さまの男児誕生についてです。
日本の皇室では女性天皇は認められていません
男系男子が天皇になれるのです
愛子さまをご出産されてから日を置かず、雅子さまには「2人目のご出産」の相談が持ち掛けられている。男子の出産を迫られる状況は少しも変わらなかったのだ。むしろそのプレッシャーは増していった。
文春オンライン
この病気はストレスが原因で発症されると言われています。
さらに、追い打ちをかけるように当時の湯浅利夫宮内庁長官が定例会見で
と発言したのです。
えええ?その発言をこのタイミングでするって・・・ひど過ぎる・・・
雅子さまにはこれ以上期待しないというようにも取れる発言に雅子さまはとても傷つかれたそうです。
雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
宮内庁
この突然の発言は当時の天皇陛下にも相談がなかったため波紋を呼び、徳仁の乱とも呼ばれています。
この発言に対して皇太子さまに対するバッシングもあったようですが、事の重大さを悟った宮内庁は雅子さまに専門医の治療を勧めることにしたのです。
この徳仁さまの発言がなければ雅子さまの苦しみは理解されなかったかもしれませんね。
その4|里帰り禁止令
雅子さまに里帰り禁止令が出ていたというのは本当なのかしら?
ご結婚された時の美智子さまの里帰りはどうだったかというとは、かなりの頻度で里帰りでした。
前述のとおり不妊治療のためと公務も制限されていたので禁止令の話も信憑性がありますね。
その5|御養蚕納の儀の蚕の世話禁止令
「古くは日本書紀に皇室と養蚕の関係をうかがわせる記述があります。現在の皇室による養蚕は、明治天皇の皇后・昭憲皇太后が始めました。『皇后の仕事』であり、美智子さまの次は、雅子さまに引き継がれるものと考えられていました。その日、雅子さまは蚕に桑の葉を与えたり、繭の収穫作業の作法について、美智子さまから直接説明を受けられたそうです」(皇室記者)
NEWSポストセブン
明治天皇の皇后・昭憲皇太后が産業の発展にもとはじめられた養蚕。
代々皇后さまが受け継がれ、次は雅子さまの順番です。
しかし、
国策として絹や生糸の輸出が奨励された時代の昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后、そして美智子さまへと受け継がれた伝統の一方、これまで秋篠宮妃紀子さまや眞子さまが御養蚕所に足を運ばれたことがあったが、雅子さまは今回が初めての訪問だった。
NEWSポストセブン
という報道がありました。
雅子さまが訪問されたのは2020年5月1日が初めてです。
雅子さまは虫がお嫌いなのか、美智子さまが来させないようにしたのか、この時もさまざまな噂が飛び交いました。
雅子さまが皇后になった時にはこの養蚕の儀を引き継が必要な状態でした。
ですから、雅子さまの訪問より先に紀子さまや眞子さんが足を運んでいたということは雅子さまへの引き継ぎを阻止したかったのではないか?とも言われています。
その6|美智子さまが雅子さまのお引っ越しのお手伝の申し出を拒否された!
令和になり上皇ご夫妻が引っ越しされることになりました。
その時にお住まいになっていた吹上仙洞御所のお荷物の荷物がとても多く美智子さまお一人ではなかなか整理できなかったようです。
思い入れも強く、一つ一つの品を吟味されるのでとても時間がかかっていたそうです。
そんな時に雅子さまが荷物の整理のお手伝いを申し出られたのです。
皇室ゆかりの品々なので職員には手が出せず困っていたのを見かねての雅子さまの行動でした。
しかし美智子さまは・・・
と雅子さまの申し出を強い口調で断られたそうです。
結局、2020年3月に仙洞仮御所(港区高輪)へのご移居を経て、2022年4月、旧赤坂御所である仙洞御所にご入居になりました
引っ越しまで準備も含めて3年かかってしまいました。
美智子さまと雅子さまのご関係についてはこちらのページでご紹介しています。
ぜひ、ご覧になってください!
その7|意地悪ばあさんではない!微笑ましい全国赤十字大会
2018年5月16日全国赤十字大会での美智子さまと雅子さまのご様子。
上皇后美智子さまが皇后として最後の出席となった2018年の大会で、次期名誉総裁である雅子さまを紹介するような形で手を差し伸べ、お二人揃って笑顔で深々と礼をされたのもこの大会でした。
FNNオンライン https://www.fnn.jp/articles/-/531112
優しく手を差し伸べられる美智子さまの姿に称賛の声。
【感動のロイヤル・バトンタッチ】
ともいわれるほどの、微笑ましい光景です。
いろいろなエピソードがあったもしれません。
ですが、そのようなエピソードも懐かしい過去の思い出として消化されているのではないでしょうか。
美智子さまの実家があった場所は現在公園に。詳しくはこちらの記事でご覧ください。
まとめ|美智子さまと雅子さまの関係性の真実
美智子さまと雅子さまの間に言われている不仲の噂について整理してみました。
出来事 | 詳細説明 | 出典や反論 |
---|---|---|
靴隠し事件 | 雅子さまの靴がパーティーの際になくなり、美智子さまがスリッパを勧めた事件。 | 宮内庁への反論未記載 |
晩餐会での紹介スルー | 2003年、メキシコ大統領訪問時、雅子さまの紹介を飛ばし紀子さまを先に紹介した。 | 宮内庁の公式会見 |
妊活と公務の制限 | 妊活を優先するために公務が制限され、男子出産への圧力もあった。 | 文春オンラインの記事 |
里帰り禁止令 | 結婚後、長期間雅子さまの里帰りが制限されていた。 | 裏付ける具体的な公的資料なし |
御養蚕納の儀の参加制限 | 雅子さまが養蚕儀式に参加しなかったことについて、美智子さまから制限があったとの噂。 | NEWSポストセブン |
これらの情報を通じて、皇室の内部事情や公的な行事での対応がどのように報じられ、どのように宮内庁から反論されているかが見て取れます。
各事件ごとにメディア報道と宮内庁の反論があり、その中で真実を見極めるのは簡単ではありませんね。
美智子さまも民間から嫁いで来られて大変なご苦労をされたと思います。
実際におっしゃったことや、起こった出来事などで事実もあると思いますがあくまで想像に過ぎない部分もあることでしょう。
あくまで噂の領域でのお話です。
言葉の受け取り方は人によって異なり、勘違いもあったりします。
美智子さまが「意地悪ばあさん」だったという根拠の指標にはなりません。
現在美智子さまは現在ご自分に対するバッシングの報道に心を痛めていらっしゃると聞きます。
皇室という閉鎖された空間でどういうことがあったのかは実際わかりかねることはあります。
ただ想像するに、人権侵害も当たり前のようなことが起こり得ている気がします
そこを改革したかった雅子さま。
皇后陛下になられた今、次の世代に開かれた皇室を作られていくように希望します。
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