雅子さまはオックスフォードで修士になれず!1人だけ落ちこぼれ説の真相


2024年6月22日から、天皇陛下と雅子さまがイギリスに訪問しています。

イギリス訪問中には、かつておふたりが留学したオックスフォードを訪ねることも報道されました。

しかし、雅子さまはオックスフォードで修士になっていないことが話題になっています。

他の同僚は1年で修士を取ったのに雅子さまだけ2年留学しても修士になれなかったとSNSで話題です。

修士を取れなかったのは理由があるのでしょうか?

今回は、雅子さまが修士号を取れなかったという噂と、その理由について考えていきます。

この記事でわかること
  • 雅子さまがオックスフォードで修士になれなかったのは本当?
  • 雅子さまが修士号を取れなかった理由
  • 雅子さまが修士号を取れなかったことに関してネットの声
目次

雅子さまは本当にオックスフォードで修士号を取れなかった?

出典:女性自身 https://jisin.jp/koushitsu/2338309/

雅子さまがオックスフォードで修士号を取れなかったのは事実のようです。

出典:宮内庁
https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history02.html
出典:宮内庁
https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history02.html

天皇陛下の学歴は「オックスフォード大学マートンコレッジご修学」。

これに対し、雅子さまは「ベーリオールコレッジご留学」になっています。

つまり、雅子さまは修学して(修士になって)いないということですね。

この記載からも、雅子さまがオックスフォードの修士にはなっていないことがわかります。

ちなみに、同時期に外務省からオックスフォードに留学した同僚は他に8人いたそうです。

同僚8人の修士はというと・・・

全員が1年で修士課程を修了したそうです。

天皇と雅子さまのイギリス訪問についてはこちらの記事で詳しくお読みいただけます!

雅子さまが修士課程を修了できなかったのはなぜ?

雅子さまが修士課程を修了できなかった理由ははっきりしていません

しかしながら、修士の学位が取得できなかった2つの理由が予測はされています。

  • 外務省から呼び戻された
  • 修士論文のタイトルがお妃候補だった雅子さまには適切ではなかった
  • 当時お妃候補に関する報道が過熱し、それが原因でイギリスにいるのが困難になった

オックスフォード大学で雅子さまの修士論文を担当したルーカス・チュカリス教授が雅子さまについて話しています。

「マサコは賢いだけでなく性格も良い。修論は『日本政府によるアメリカ製航空機の購入』。外務省から呼び出されたため断念せざるをえなかったのは残念」

出典:https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/df/d5c45c42bfcffb7da0db313e9113f8ed.jpg

教授からはかなり好印象だった雅子さま。

さらに、修士号を取れなかった理由についてもご存じでした。

雅子さまが修士を取れなかった一因には、外務省から呼び戻されたという理由があったのです。

また、修論の題材がマズかったのでは、という声もあります。

雅子さまが書いた論文の「アメリカ製航空機」というのが、軍用機のことを指していたそうです。

ですから、「未来の天皇のお妃候補が軍用機についての論文を書くのはいかがなものか」と言われて日本に連れ戻されたという噂も。

さらに、当時雅子さまは未来の天皇のお妃候補として日々報道陣に追われていたと言います。

当時の雅子さまは、お妃候補として多くのメディアに追われる生活を送っていました。

記者:皇太子さまの「お妃候補」としてお名前があがっていますが、ご連絡などはありますか?
雅子さま:まったくございません。わたくしは、この件につきましてはまったく関係ございませんので、できればもう取材をやめていただき、そっとしておいていただきたいのですが……。

出典:おとなの週末web
https://otonano-shumatsu.com/articles/386973

こちらは1989年月、雅子さまがメディアの前でお話になったことです。

出典:おとなの週末web
https://otonano-shumatsu.com/articles/386973/2

「取材をやめてほしい」と言っていることから、何度もメディアに追いかけられて辟易している様子がわかりますね。

こういった取材が多かったことも、雅子さまが修士号を取らずに帰国した理由として考えられます。

ただ、井かのような反対意見もあるようです。

  • 通常2年で取れるはずの修士号なのに、2 年で書けないのはなぜか
  • 当時のハーバードでは雅子さまの父・小和田恒氏が教えていたのでそのコネではないか

とも言われていますが、これに関しては実際の理由はわかりません。

実は当時、ハーバードでは雅子さまの父・小和田恒氏が教えていたというのです。

雅子さまのハーバード留学1998年9月 ~1990年6月
小和田恒氏のハーバード教授就任1979年、1987年、2000年

これを見ると、確かに小和田恒氏がハーバード大学で名誉教授として教えていたことがあります。

そのコネで留学したのでは?とも言われています。

でも、小和田恒氏が教えていた年と雅子さまが留学していた年は重なっていませんね。

さらに、小和田恒氏が名誉教授を務めていたのはハーバード大学ロースクールです。

まったく違う学部であり、外交官としての立場での国費留学なのでお父さまの影響はなかったでしょう。

そんなハイスペックな雅子さまのお父さまは現在もスゴイお父さまです。

雅子さまのお父さまの現在が気になる方はこちら!

雅子さまは落ちこぼれなの?

雅子さまがオックスフォードで修士号を取れませんでしたが、実力不足や落ちこぼれなどとは考えにくいでしょう。

雅子さまはオックスフォード大学での研修を終えて帰国。

帰国後に配属されたのは経済局国際機関第二課に配属。

その1年後には激務な部署として知られている北米局北米二課・OECD(経済協力開発機構)に配属されています。

勤務中は徹夜で仕事をしたことも1日だけでしたがありました。

さらに、雅子さまが24歳のときに若手官僚として答えた取材では、

 経済協力開発機構(OECD)の環境委員会を担当し、仕事内容は会議に備えた資料の準備や会議での日本政府の見解を調整する役目だとし、「夜2時に帰宅したら、母にきょうは早いわね、と言われちゃいました」と話していた。

出典:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASRD76222RD1UTIL01G.html

深夜帰りということはしばしば・・・

かなり激務であることがわかりますね。

落ちこぼれ、実力不足であったとすればそのような難しい課には配属されないのではないでしょうか。

さらに、1991年にはスウェーデン首相や米国国務長官との会談で通訳を務めました。

つまり、雅子さまが実力不足や語学不足などでオックスフォード修士になるのを断念したというのは考えにくいことですね。

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”雅子さまが1人だけ修士になれなかった!”に対するSNSの声

雅子さまが2年の留学で修士になれなかったことについて、SNSではかなり厳しい声が相次いでいます。

やはり、小和田恒氏のコネで留学したと言っている人が多いようです。

ただ、雅子さまが呼び戻されて論文が書けなかったと知っている方もいるようです。

この方は、特例で修士の学位をもらえると言われても雅子さまが辞退したと述べています。

雅子さまは、修士の学位はしっかり大学に通ったうえで取りたかったのでしょう。辞退されるとは雅子さまらしいですね。

はっきりとした理由はわかりませんが、雅子さまはやむを得ない理由や事情で修士号を取れなかったようです。

例えば、雅子さまが天皇陛下のお妃候補になる前に、一般の外交官の立場で留学していたとしたら・・・

スムーズにオックスフォード大学の修士の学位は取得できたことでしょう。

雅子さまや愛子さまなど天皇家についてはこちらから詳しく読めます!

まとめ|雅子さまはオックスフォードでの修士取得に関する真実

出典:報道ステーションX https://x.com/hst_tvasahi/status/1806692212975255585

本記事では、雅子さまがオックスフォード大学で修士になっていなかったことについてお伝えしました。

項目詳細
学歴オックスフォード大学ベーリオールカレッジご留学
修士号取得せず
理由外務省からの呼び戻し、論文テーマが適切でなかった可能性
留学期間1988年~1990年
修士論文日本政府によるアメリカ製航空機の購入

たしかに修士号を取らなかった雅子さま。

その裏には日本に呼び戻された論文の題材が物議をかもしたなどのやむを得ない理由が考えられます。

実力不足ではなく、むしろその後の外務省での活躍がその実力を証明しています。

また、当時お妃候補に関する報道が過熱し、それが原因でイギリスにいるのが困難になったなどの理由も挙げられているのです。

修士を取れなかった雅子さまですが、日本に帰ってからは外務省で八面六臂の働きをしました。

オックスフォードの講義についていけなくて修士を断念したわけではなさそうですね!

これからも、その才能で海外との橋渡しをしていただきたいものですね。

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