百合子さまの葬儀の喪主がなぜ孫の彬子さまに?信子さまが外された真相


百合子さまの葬儀で喪主に選ばれたのは、三笠宮家の孫にあたる彬子さま。

皇族の葬儀には伝統に則った一連の「葬儀の儀式」があります。

一般の葬儀にあたるのが本葬の「斂葬の儀」。

一般的には百合子さまの長男が喪主になるのが慣例です。

しかしながら、長男寛仁親王は2012年6月に逝去されました。

次男の桂宮さま、三男の高円宮さまと3人の息子に先立たれておられます。

では、次に考えれられるのは百合子さまの長男の嫁である信子さまじゃないの?

でも実際には、信子さまではなく彬子さまが喪主になると発表されているよね!

この決定には皇室特有の事情や、家族間での役割分担が背景にあります。

そこで・・・

この記事でわかること
  • 百合子さまの喪主に彬子さまが選ばれた背景とその理由
  • 三笠宮における過去の葬儀の事例
  • 信子さまが喪主を務めなかった理由

それら特有の事情や背景、裏事情などについて具体的にお伝えしていきましょう。

ちょっと事情が複雑です。

最後までぜひご覧下さい!

目次

喪主に孫の彬子さまが選ばれた背景

女性自身
https://jisin.jp/koushitsu/2372122/3/

宮内庁によりますと、通夜は今月24日と25日の2日間、一般の葬儀にあたる「斂葬の儀」は26日、東京・文京区の豊島岡墓地で執り行われ、喪主は孫の彬子さまが務められるということです。
Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/1e6ba3698c0c3d18a14747414ee9b4c9ab68dd5c

喪主は彬子さまが務められると宮内庁からの発表。

三笠宮家では、葬儀の喪主を務めることがその家族内の代表としての役割を意味します。

彬子さまはこれまで多くの公務をこなし、皇室の中で若い世代を代表する存在としての地位を確立しています。

信頼されるお人柄やご経験が、この【百合子さまの喪主】という重要な役目を引き受ける理由となったのでしょう。

皇族内では各家系ごとに役割分担があり、重要な儀式ではそれが大きく反映されます。

三笠宮家は歴史的に伝統行事や学術分野に深く関わりを持ち、彬子さまはその継承者とされています。

三笠宮の家系の代表として、彬子さまが表舞台に立つことで、三笠宮家の存在感が皇室全体に示されるという意図もあると思われます。

百合子さまの喪主を務められた彬子様。

三笠宮家の次期当主争いにも大きな影響があります。

ぜひご覧ください!

信子さまではなく彬子さまが選ばれた理由

女性自身
https://jisin.jp/koushitsu/2372122/3/

彬子さまが積極的に公務をこなしてきた実績が評価されているのも一因でしょう。

加えて、若い世代の象徴としての役割を担う意義が重視された結果とも言えます。

実際に彬子さまは2012年に心游舎という団体を立ち上げ、現在もことも立ちに日本文化を伝える活動をされています。

こちらの詳しい内容についてはこちらの記事で紹介していますので、ぜひご覧下さい!

喪主に信子さまではなく彬子さまが選ばれた背景には、信子さまご自身の現在の状況が影響していると考えられます。

こちらについては、後ほどお伝えしていきます。

三笠宮家における葬儀の過去の事例

女性自身
https://jisin.jp/koushitsu/2372122/3/

また、皇族内での家系図やその伝統的な流れを考えると、孫がこの責任を担うケースも過去には見られました。

5人のお子さまに恵まれるも、長男の寬仁さま、次男の桂宮さま、三男の高円宮さまと3人の息子に先立たれるなど、大きな悲しみを何度も経験されたご夫妻。
Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/5ee2d417e96e68a947e612f3f74a48639fd0c23a

三笠宮百合子さまの3人の息子に先立てれて、お見送りをされています。

また、夫にあたたる崇仁さまも2016年に逝去されています。

合計4回もの葬儀にたちあわれています。

それぞれのご葬儀について振り返っていきましょう。

1. 崇仁親王(三笠宮)

逝去日: 2016年10月27日
年齢: 100歳
葬儀: 「斂葬の儀」
日時: 2016年11月4日
喪主: 妻である百合子さま
内容:
崇仁親王の葬儀は皇室の格式を重んじた「斂葬の儀」として東京・文京区の豊島岡墓地で行われました。百合子さまが喪主を務め、多くの皇族方や関係者が参列し、皇室の重鎮としての長いご生涯が丁寧に偲ばれました。


2. 長男:三笠宮寛仁親王

逝去日: 2012年6月6日
年齢: 66歳
葬儀: 「斂葬の儀」
日時: 2012年6月14日
喪主: 長女である彬子さま
内容:
寛仁親王の葬儀で喪主を務めたのは長女である彬子さまでした。この決定について宮内庁は「殿下の生前のお気持ちを踏まえたもの」と説明しています。豊島岡墓地で行われた厳粛な儀式には、皇族や国内外の関係者が多く参列しました。彬子さまは若い世代を代表して喪主を務め、寛仁親王の遺志を継ぐ姿勢が注目されました。


3. 次男:三笠宮宜仁親王(桂宮)

逝去日: 2014年6月8日
年齢: 66歳
葬儀: 「斂葬の儀」
日時: 2014年6月17日
喪主: 父である三笠宮崇仁親王(喪主代理:姪の彬子さま)
内容:
宜仁親王の葬儀では、父である三笠宮崇仁親王が喪主を務めましたが、高齢のため喪主代理として姪である彬子さまがその役目を果たしました。儀式は皇室の伝統を尊重しつつ、宜仁親王の生涯を偲ぶ厳粛な内容で進行しました。豊島岡墓地において、皇族や多くの関係者が参列し、丁重に送り出されました。


4. 三男:高円宮憲仁親王

逝去日: 2002年11月21日
年齢: 47歳
葬儀: 「斂葬の儀」
日時: 2002年11月29日
喪主: 妻である高円宮妃久子さま
内容:
憲仁親王の葬儀は「斂葬の儀」として豊島岡墓地で行われました。喪主を務めた久子さまが中心となり、故人のスポーツ振興活動への功績や多くの交流を偲ぶ形で進められました。幅広い分野から多くの弔問者が訪れ、その業績が改めて評価されました。

現在、主に京都で活躍されている彬子さま。

その活動内容は凄いんです!

百合子さまの喪主を務めなれることも納得されるかもしれません。

一般葬と皇族の儀式の違い

皇族の葬儀は一般の葬儀とは異なり、一般的に日本の皇族の葬儀は非常に格式高く行われます。

その葬儀の規模や内容は伝統的な儀式に基づき、神道の儀式が中心に据えられるのが特徴です。

百合子さまさまの葬儀は本葬の「斂葬の儀」と呼ばれる儀式で行われます。

皇族の格式を示す重要な要素なのです。

三笠宮家の各ご葬儀における喪主、日付、お名前をだけを表にしてみました。

故人名逝去日喪主名喪主代理(該当する場合)葬儀日
崇仁親王(三笠宮)2016年10月27日百合子さまなし2016年11月4日
寛仁親王2012年6月6日彬子さまなし2012年6月14日
宜仁親王(桂宮)2014年6月8日崇仁親王(百合子さまの夫)彬子さま2014年6月17日
憲仁親王(高円宮)2002年11月21日久子さま(高円宮妃)なし2002年11月29日

こうしてみると彬子さまは2回も喪主もしくは喪主代理を努めておられるのです。

これだけ見てもご経験という意味では、百合子さまの喪主に選ばれる理由に納得がいきます。

信子さまが喪主を務めなかった理由

女性自身
https://jisin.jp/koushitsu/2372122/3/

信子さまが喪主を務めなかった背景には、体調や現在の公務の状況が影響していると言われています。

信子さまの体調不良とご公務の状況について振り返ってみましょう。

信子さまの体調不良の経緯

  1. 平成16年(2004年)
    • 理由: 胃潰瘍と更年期障害のため、療養生活に入られる。
    • 背景: 健康状態が優れない中、精神的な負担もあり、公務を控えるようになりました。
  2. 療養中の影響:
    • この期間、ストレス性ぜんそくを発症され、入退院を繰り返す日々が続きました。
    • その結果、夫である寛仁親王とは別居生活を送られることとなりました。
  3. 寛仁親王の逝去(平成24年/2012年):
    • 信子さまは療養中であったため、寛仁親王の葬儀には出席されませんでした。
    • ご家族とのすれ違いや療養の長期化が当時の状況に影響したと言われています。

ご公務への復帰と現在の状況

  1. 復帰へのきっかけ(平成25年/2013年以降):
    • 東日本大震災で被災した人々を訪問するなど、公務に少しずつ復帰。
    • 女性の健康に関する啓発活動に力を注ぎ、「女性の健康とメノポーズ協会」の名誉会頭として活動を再開。
  2. 現在の活動:
    • 「女性の健康とメノポーズ協会」での活動を通じて、更年期障害に苦しむ女性たちへのサポートをライフワークとされています。
    • 公務への完全な復帰は難しいものの、健康相談士として電話相談やボランティア活動を継続されています。

2024年現在は活動的にご公務をこなしている信子さま。

ご病気だった経緯を踏まえあると、葬儀を取り仕切るには多くのエネルギーと時間が必要であり、その点で彬子さまの若さと実行力が評価されたと考えても良いのではないでしょうか。

彬子さまは実は京都にお住まいを購入されています。

三笠宮家の家族間の表に出ていない内部事情

実は、信子さまと彬子さまの間には表立っては伝えられていない内部事情があります。

信子さまと瑶子様との間にも同様の事情があります。

こちらの内容については、こちらの記事でご紹介しています。

まとめ|三笠宮百合子さまの葬儀で喪主に孫の彬子さまが選ばれた背景

三笠宮百合子さまの葬儀において、喪主に孫の彬子さまが選ばれた背景についてお伝えしてきました。

それぞれをまとめた表を記載します。

三笠宮家の葬儀と喪主に関する詳細

故人名逝去日葬儀名喪主名喪主代理(該当する場合)葬儀日
崇仁親王(三笠宮)2016年10月27日斂葬の儀百合子さまなし2016年11月4日
寛仁親王2012年6月6日斂葬の儀長女・彬子さまなし2012年6月14日
宜仁親王(桂宮)2014年6月8日斂葬の儀崇仁親王姪・彬子さま2014年6月17日
憲仁親王(高円宮)2002年11月21日斂葬の儀妻・久子さまなし2002年11月29日

信子さまの体調不良に関する経緯

時期状況詳細
平成16年(2004年)胃潰瘍・更年期障害の公表療養生活に入り、公務を控える。ストレス性ぜんそくを発症し、入退院を繰り返す。
平成24年(2012年)寛仁親王の逝去療養中のため、葬儀には出席せず。
平成25年(2013年)公務への部分復帰東日本大震災の被災者訪問や、女性の健康啓発活動を開始。「女性の健康とメノポーズ協会」の名誉会頭として活動。
現在公務をこなしつつ健康に配慮した活動健康相談士としての活動やボランティアを継続しつつ、公務への参加も行っている。

喪主に彬子さまが選ばれた理由

ポイント内容
彬子さまの公務実績多くの公務をこなし、皇室内で若い世代を代表する存在としての地位を確立。
彬子さまの伝統継承への姿勢2012年に「心游舎」を設立し、日本文化の普及活動を推進している。
信子さまの体調胃潰瘍や更年期障害の影響で過去に療養生活を送っており、公務復帰後も健康に配慮した活動を続けている。
次世代の象徴としての役割若い世代の代表として、三笠宮家の家系と伝統を皇室全体に示す象徴的な役割が期待されている。

皇室葬儀の特徴と三笠宮家の例

項目内容
一般葬との違い皇室の葬儀は神道に基づく儀式が中心で、格式や伝統が重視される。「斂葬の儀」が一般葬にあたる。
三笠宮家の過去の葬儀崇仁親王の斂葬の儀では百合子さまが喪主を務め、寛仁親王では長女の彬子さまが喪主を担当。桂宮宜仁親王の葬儀では喪主代理を務めた彬子さまの役割が注目された。

彬子さまは、若い世代を代表し、過去にも喪主や喪主代理を務めた経験が評価されました。

また、信子さまの体調や過去の療養期間が決定に影響したと考えられます。

これらを踏まえ、三笠宮家の家系全体を継承する姿勢が彬子さまの役割を支えていると言えるでしょう。

コメント

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

CAPTCHA

目次