信子さまと麻生太郎は兄妹!学歴や経歴もスゴい名家の血筋だった!


三笠宮の故・寛仁親王妃信子さまは衆議院議員・麻生太郎氏の妹であることをご存じですか?

実は信子さまのご実家は日本有数の名家なんです!

麻生太郎さんと信子さまが兄妹!
初めて聞きました。

そこで今回は……

この記事でわかること
  • 麻生太郎氏は信子さまの兄!
  • 信子さまと麻生太郎氏の実家は名家
  • 信子さまの学歴は?

実は実の兄弟である信子さまと麻生太郎氏。

ふたりの家系図や信子さまの学歴について調査していきます。

家系図をさかのぼった結果、日本人なら誰もが知る大物が出てきました!

目次

麻生太郎氏と信子さまは実の兄妹!

出典:女性自身 https://jisin.jp/koushitsu/2397595/
出典:東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/350071

麻生太郎氏は信子さまの実の兄です。

麻生太郎氏は衆議院議員で、平成20年第92代総理大臣を務めました。

ほかにも財務大臣や内閣官房長官など、要職を任された議員です。

さらに、議員になる前はクレー射撃で日本代表としてオリンピックに出場したという面白い経歴を持っています。

麻生太郎氏はスポーツマンだった変わった経歴をお持ちなんですね!

そうですね。政治家は元公務員や弁護士が多いイメージを持たれがちなので少し意外かもしれません。

そんなふたりの実家麻生家の家系図をさかのぼると、有名人をたくさん排出してきた名家であることがわかりました。

信子さまと彬子さまの間には深い溝があるんです!

その詳細についてはこちらでご紹介しています!

信子さまと麻生太郎氏の実家を調査!

選挙ドットコム
https://go2senkyo.com/articles/2015/11/29/12573.html

続いては、信子さまと麻生太郎氏の実家について調査しました。

信子さまは皇族と結婚するくらいですから、大きなお家なのではないでしょうか。

ふたりのご実家を調べると、有名人が続々出てきました。

続柄立場
父・麻生多賀吉麻生鉱業社長、麻生セメント社長、九州電力会長
衆議院議員
祖父・吉田茂元内閣総理大臣など
曾祖父(ひいおじいさん)・麻生太吉麻生グループの創設者
高祖父・大久保利通元内務卿など

高祖父(こうそふ)とは、祖父母の祖父、または曽祖父母の父のことを言います。

信子さまと麻生太郎の父は麻生多賀吉(あそうたかきち)

麻生家は現在の福岡県飯塚市目尾の庄屋としてスタート。

麻生グループは、1872年(明治5年)、創業者 麻生太吉 が福岡県飯塚市目尾(しゃかのお)御用炭山を採掘し石炭産業に着手したことにその端を発しています。

初期の麻生は、国家の産業基盤づくりを使命に、筑豊の、そして北部九州の発展とともに成長しました。明治・大正・昭和初期と筑豊有数の炭鉱主として、石炭の他に銀行、電力、鉄道、病院、セメント事業など幅広く事業展開してきました。

株式会社麻生 https://www.aso-corp.jp/history.html

というのも、麻生太吉は麻生多賀吉の祖父に当たる方で麻生グループの創設者でした。

つまり麻生太郎さんの曾祖父(ひいおじいさん)である麻生太吉が麻生グループの創設者だったのです。

ですから代々麻生家の一族が麻生グループの社長や会長を務めておられます。

事業は幅広く手掛け、石炭関連の企業以外にも、銀行、電力、鉄道、病院、セメント事業など多岐にわたります。

その一部にあたる麻生鉱業社長、麻生セメント社長、九州電力会長の肩書をお持ちだったのです。

麻生太郎や信子さまの父の麻生多賀吉は衆議院議員でもありました。

お父様の代から国会議員だったんですね!

三笠宮家の信子さまと彬子さまの当主争いが勃発!

その経緯や真相には深いワケがあります!

ぜひご覧下さい!

信子さまと麻生太郎の祖父は吉田茂

出典:JB press https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/79143

信子さまと麻生太郎氏の祖父は吉田茂氏であることがわかりました。

yumeo

苗字が違うね・・・

そうなんです!

母方の祖父が戦後日本の路線を敷いた吉田茂さん。

母方の祖父なので苗字が異なるんですね!

第45・48・49・50・51代内閣総理大臣を務めたほか、外務大臣や農林大臣を歴任した衆議院議員です。

1946年5月22日から1947年5月24日、及び1948年10月15日から1954年12月10日まで

述べ年数にして約7年

長期にわたり在任され、その活躍ぶりはご存じの方も多いことともいます。

戦後混乱していた日本を復興させ、近代日本の礎を築いた偉大な政治家でした。

上皇陛下は吉田茂氏に会ったことがあるようですよ!

吉田茂氏はユーモアにあふれた方だったそうで、さまざまな会話が知られています。

  • 昭和天皇が「大磯は暖かいだろうね」と話しかけられると、「はい、大磯は暖かいのですが、私の懐は寒うございます」と答える。
  • 元気そうな様子を褒められ、「元気そうなのは見た目だけ。頭と根性は生まれつきよくないし、口はうまいもの以外受け付けず、耳の方は都合の悪いことは一切聞こえません」と応じる。

ちなみに、同じ時代の内務官僚だった「吉田茂」と勘違いされますが、こちらは同姓同名の別人なのだそうです。

信子さまと麻生太郎の高祖父が大久保利通!

出典:WEB歴史街道 https://rekishikaido.php.co.jp/detail/3884

祖父が吉田茂氏だけでもすごいのですが、さらにさかのぼると大久保利通がいることがわかりました!

大久保利通とは?

廃藩置県・版籍奉還などを行い新政府の基礎を固めた人物。地租改正や殖産興業などの重要施策も行う。西郷隆盛は幼馴染だった。

大久保利通といえば、薩長同盟を組んだ「維新の三傑」として有名ですね。

皆さんも学校の授業や歴史の教科書で見たことがあるのではないでしょうか。

高祖父とは祖父母の祖父のことですから、4代前になります。

具体的に考えてみると・・・

  • 麻生太郎さんの母方の祖父が戦後日本の路線を敷いた吉田茂元首相。
  • その吉田茂さんの義理の祖父が近代日本の礎を築いた明治の元勲、大久保利通。

ということになります。

ちょっと母方の祖父がでてくると家系図をたどるのがややこしくなりますね!

つまり、現在の令和天皇陛下とも遠い親戚ということになります。

信子さまの家系はそうそうたる顔ぶれが並んでいますね。

信子さまの長女彬子さまが結婚できないのには、信子さまの存在も大きく関わっています!

ぜひご覧ください!

麻生太郎さんの妻ちか子さんも国会議員の娘

麻生太郎さんの肩書についても調べてみました。

昭和41年 8月, 麻生産業株式会社入社. 昭和48年 5月, 麻生セメント株式会社代表取締役社長(~昭和54年12月). 昭和53年 1月, 社団法人日本青年会議所会頭(~53年12月).

首相官邸 https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/meibo/daijin/aso_taro.html

昭和54年10月に第35回衆議院議員総選挙に初当選(旧福岡第2区)。

それなでは実家の家業麻生セメントの社長でいらっしゃいました。

その後は、みなさんも御存知の通国会議員として活躍されています。

ちょっと話はそれますが・・・

麻生太郎さんの妻も鈴木善幸元首相の3女出そうです。

鈴木善幸元首相とは第70代内閣総理大臣。

在職期間昭和55年7月17日~昭和57年11月27日でご活躍された国会議員です。

というわけで、麻生家は実業家でもあり、政治家一家のということになります。

その他の麻生太郎と遠い親戚にあたる有名人

以下の国会議員も全て遠い親戚なんです!

ということは、天皇陛下とも遠い親戚になりますね!

  • 吉田茂元首相
  • 麻生太郎
  • 吉田寛元首相
  • 吉田栄作元首相
  • 安倍晋太郎
  • 安倍晋三

吉田茂元首相が麻生太郎さんの母方の祖父であることはお伝えしてきました。

その吉田茂さんの娘が結婚した夫吉田寛元首相

その吉田寛元首相の母の妹茂世さんがが佐藤秀助さんと結婚

その二人の間にできた子どもが佐藤栄作元首相

佐藤栄作元首相の兄の岸信介さんの子どもが安倍晋太郎元大臣

安倍晋太郎元大臣の子どもが安倍晋三元首相

と言った感じで、国会議員の娘がまた国会議員と結婚して首相や大臣になるという血縁になっています!

百合子さまの喪主は信子さまではなく彬子さまとなりました。

その真相について気になる方はこちら!

信子さまの学歴は?

年代内容
1955年4月9日誕生
1968年(昭和43年)聖心女子学院初等部卒業
1971年(昭和46年)聖心女子学院中等部卒業
1974年(昭和49年)英国・ロスリンハウス・コレッジ卒業
1980年(昭和55年)寛仁親王と成婚

語学力が話題にならない信子さまですが、英国のコレッジ卒なので流暢なクイーンズイングリッシュをお話になるそうです。

ほかの親王妃は公立または学習院に通っていた方が多いですが、信子さまはミッションスクールに通っていらっしゃいました。

戦後間もない時期に英国のいわゆる高校に通われるだなんてさすが名家の方です!

皇族の妃はみなさん英語を話せるんですね!
とくに、信子さまの世代で留学したことがある女性は珍しい気がします。

そうですね。信子さまのご両親は教育熱心だったそうですので、英国への留学は両親からすすめられたのかもしれません。

英国のコレッジを卒業後、ご自身が通っていた松濤幼稚園で英語教師を務められていたそうです。

聖心女学院を経てイギリスのロスリンハウス・カレッジを卒業後、松濤幼稚園の英語講師を務められるなど当時は珍しいキャリアウーマンだった

Newsポストセブン https://www.news-postseven.com/

1975年ごろと言えばまだまだ女性が積極的に働くような時代ではありませんでした。

そんな中で、幼稚園で英語教師をされていたとはキャリアウーマンだったんですね!

実は信子さま、寛仁親王に求婚されたのは信子さまが16歳、寛仁親王が当時26歳のときだったとか。

しかし、まだ早すぎるという理由から、8年もの大恋愛を実らせ信子さまが24歳のときに成婚しました。

まとめ|麻生太郎氏と信子さまの家系図と学歴

以麻生太郎氏と信子さまの家系および学歴に関する情報をまとめます。

スクロールできます
項目詳細
麻生太郎氏衆議院議員で第92代総理大臣。クレー射撃でオリンピック出場経験あり。麻生セメント元社長。
信子さま寛仁親王妃で英国ロスリンハウス・コレッジ卒業。松濤幼稚園で英語教師としても活躍。
父:麻生多賀吉麻生鉱業・セメント社長。九州電力会長。元衆議院議員。
祖父:吉田茂戦後日本を復興させた第45・48~51代内閣総理大臣。母方の祖父。
高祖父:大久保利通維新の三傑の一人。廃藩置県や殖産興業など明治新政府の基盤を築いた人物。
麻生グループの歴史明治時代に麻生太吉が石炭産業を開始。以降、銀行、電力、鉄道、セメント事業など多岐に展開。

信子さまの家系図を辿ると、日本の歴史に影響を与えた人物が数多くいます。

信子さまの学歴やキャリアは、当時としては非常に珍しいもので、名家ならではの背景が感じられます。

麻生太郎氏が実の兄というだけでも驚きでしたが、祖父は吉田茂氏、高祖父にはあの大久保利通がいました。

なんとなく大きなお家だとは知られていましたが、ここまで有名な人が並ぶのはすごいですね。

なんだか、信子さまのご実家はこれからも有名人を輩出していきそうですね。

コメント

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

CAPTCHA

目次